ツクバダイガクタノシイデス。

2009年02月27日

外資系企業に勤めてたけど今日クビになった の続きを勝手に貼る

こんなことしたら怒られるんだろうか。

【天国から】外資系企業に勤めてたけど今日クビになった【地獄へ】 

これがあまりにも面白かったので><
最後の煽り文が気になって、自分で見に行って、そのクオリティにまたやられた。折角調べたので、自分でまとめてみようかと。


9 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/18(水) 20:40:36.28 ID:gASop8bT0
まず、私と、私の勤めていたところの話をしよう。
とっても退屈だと思うけど、興味があったら読んでくれると嬉しい。


***

私は2002年に大学を学部で卒業して今の会社に入社した。
会社は、いわゆる外資系というやつで、証券会社だった。
仕事は主に企業の買収・合併や資金調達の提案とアドバイスを担当した。

そう、今テレビやら新聞で叩かれまくりの業界だ。
だがそれはつい最近の話で、2007年頃まではこの世の春を謳歌していた。
異常な高給で知られ、社会に及ぼす影響力も大きく、きらびやかな経歴の人々が集う職場。
そんなイメージだったろう。
事実、私が新卒面接に積極的に参加していた2007年などは、千倍を超える倍率で学生が競う就職先だった。

これから合間を縫って投下するのは、
1.私がなぜそんなところに就職したか
2.業務の実際
3.クビになるまでの経緯
4.今後の方針
という区切りで行きたいと思う。でも基本的には質問とかしてくれた人のレスを優先したい。

宜しくお願い致します。


19 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/18(水) 21:02:08.88 ID:gASop8bT0
友人らはリクルーターに接触したり、OB訪問を行い、説明会に参加するなどして精力的に活動していた。
私はというと、、、バイトの合間に勉強を続け、大学院進学の費用を貯め、進学先に提出する論文を執筆していた。
人付き合いも苦手で、勉強は好きだったので、就職などは全く考えず、大学という箱庭でまどろんでいた。
大学院は海外への進学を考えていたので、3年生の秋には論文を提出してレフェリーの査読を終える必要があった。

ところが予定が狂った。
指導教官と論文の内容で決裂してしまい、教官に推薦状を書かかないと宣言されてしまった。
私の通っていた大学で実績のある教官は推薦状の執筆に非常に消極的であり、
自分が本当に推薦するに足る学生と判断する材料が足りなければ、推薦状を書くことはまず無い。
そして、その推薦状は、奨学金の申請要件であったことが、私が進学を諦める決定的な要因になった。


20 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/18(水) 21:06:20.05 ID:gASop8bT0
教官に懇願したが、前言は撤回されなかった。教官は、彼が指摘した箇所を私が修正せず進学先に提出したことに激怒していた。
それからは担当教官を変えて進学を再度目指そうとしたが、留年には費用が足りず、休学を決めるには遅すぎた。
私は絶望した。
しかし、ごはんを食べていくには収入が必要だ。働かなくてはならない。もう箱庭で遊ぶ道は閉ざされた。
私は就職活動を開始した。4年生の秋だった。

>>17で書いたように、当時は就職難。今では1000人超を採用する都市銀行の新卒採用枠は100人に満たない。
私は手当たり次第に秋採用を実施している企業を回ったが、結果は惨憺たるものだった。
それもそのはず。志望動機など無いのだ。進学しか考えていなかったのだから。資格だって何も無い。普通自動車免許すら無かった。
早くから活動していた同級生達が日本の名だたる企業に就職を決め、卒業旅行に卒業論文と、残りの学生生活を謳歌している中、
私は一人、まだ暑さの残る丸の内に日参してはプライドが粉々になる毎日を送っていた。


22 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/18(水) 21:10:42.08 ID:gASop8bT0
昔から、頭が良い方ではなかったが、真面目にコツコツやるいいコで通ってきた。
そんな私を大学の教官達は愛してくれたし、周りの友人も優しく接してくれた。
それが就職活動では自己否定の連続に遭遇する。

面接官「君は何がしたいの?」   
1  (勉強したいです・・・)
面接官「ちゃんと頑張れる」    
1  (やったことないのにできるなんて言えません)
面接官「うちに来る気はあるの?」 
1  「はい・・・宜しくお願いします」

大学のPCのメールボックスは、お祈りメールで溢れた。



29 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/18(水) 21:21:04.44 ID:gASop8bT0
今までこんな経験は無かった。入試だって、試験だって、劣等感をここまで感じることは無かった。

(もう、アルバイトでも探さなくちゃ、4月から生活できないな・・・)

そうして時間が過ぎ、秋風が吹き、肌寒くなってきた頃、テレビである外資系企業の特集をやっていた。
それが後の就職先になる会社だった。

今でも覚えている。ガラス張りの部屋の中で英語で談笑する黒人と白人と東洋人。
顧客のために世界中のネットワークとノウハウを駆使して、圧倒的な質のサービスを提供する。
会社の財産は、建物とパソコンと人材だけと言い切る。業務の裁量は年齢で決まるわけでなければ、学歴で決まるわけでもない。
10歳以上年上の部下と働く人もいれば、高校しか卒業していない人もいる。
私は直感した。ここしかない。普通の道に乗り損ねた私には、ここしかない。


35 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/18(水) 21:30:41.36 ID:gASop8bT0
私は手紙を書いた。これまでの経緯を書き、面接を組んでくれるように頼んだ。
幸い、論文執筆のために英文は書きまくっていたので、問題は無かった。
するとすぐに英文で手紙が返ってきた。とても高そうな便箋に英文でタイプされた紙があった。
紙には、面接をしたいから手紙が届いたら夜中でもいいから電話をしろ、と書いてあった。
時間は既に夜9時を回っていたが、私は書かれていた番号に電話した。

電話すると、1コールもしないうちに外人が出た。彼は私の名前を聞くと

「明日、朝7時に弊社の受付から同じ番号を呼び出してくれ。30分時間をあげよう」

とだけ言って切ってしまった。困った、私は携帯を持っていなかった。



36 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/18(水) 21:34:33.75 ID:gASop8bT0
翌朝、私は始発に乗り、面接場所である赤坂に向かった。
携帯を持っていなかったので、1階の公衆電話から電話をかけ、受付まで走った。
受付には背が高い金髪碧眼の人間が待っていた。
駆けつけた私は、化粧も整っていなければ、汗もかいていたろう。髪も乱れていたかもしれない。
私はとっさに身繕いをしようとしたが、彼は視線を動かさず言った。

「遅い。私の給料はとても高いんだから、無駄な時間を使わせるな」

私は彼がずいぶんえらそうだなと思った。外資系企業の人事部というのはそんなに高給なのだろうか。



42 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/18(水) 21:46:56.20 ID:gASop8bT0
後で知ったことだが、外資系証券において、人事部というのは人事権を持たない。お膳立てをするだけなのだ。
では、人事権は誰が持つのか。現場の指揮官達が合議制で決めるのである。

会社の中に入って私は驚いた。
高そうな絨毯に、高そうな机。柔らかく、多くの機構が装備された椅子。
通された部屋には大きな絵がかけられ、軽く30人は入れそうな印象を受けた。

そして面接が始まった。今でも覚えている。

「私が君に聞きたいことは3つしかない。君が誰なのか?君は何ができるのか?君は何になりたいのか?それだけだ」



44 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/18(水) 21:51:13.25 ID:gASop8bT0
私は迷った。そんな覚悟あるわけないのだ。親の顔がよぎる。
農業に従事する両親にとって、私は年の離れた末娘で、初めての女の子だった。
地元で過ごして一緒に暮らそうと、大学の進学を反対されたのに我侭を言って進学した。
海外の大学院に行きたいと言ったら、お金のことは気にしなくていいから自分の一番行きたいところに行けと言ってくれた。
実家の納屋の、農機の匂いがした気がした。

いや、ダメだ。このままで終わりたくない。
実家に帰ったって、いい結婚ができるとは限らない。幸せな人生が待っているかどうかなんて、もっと分からない。
こんな形で終わりたくない。

「Will do as I can!」(やってやるぜ!)



50 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/18(水) 21:56:38.15 ID:gASop8bT0
言ってやったぜ、との私の思いに反して、先方はなにやら考え込んでいる。
すると、ちょっと待ってろと言って、彼は部屋を出て行った。

ああ、ダメだったか。。。と落胆し、私はこれからどうしようかと考えていた。
論文博士を目指すなら、日本の大学でしか学位は取れないだろう。しかしそれでは就職は難しい。
ここがダメだった場合、何をやればいいのか、私は何も思いつかなかった。
時間がとても長く感じられた。いつまで待っていればいいのだろう。
時計は8時を回っていた。

もう帰ろうかと思っていた頃、先ほどの彼が一冊の本を手に戻ってきた。

「これを読んで、それでも来たいと思ったら、もう一度電話してくれ。
 ただし、今日の午後7時までに決めてくれ。
 それまでに連絡が無ければ、君は別の道を選んだと思うことにする」



56 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/18(水) 22:05:20.00 ID:gASop8bT0
私は何が起こったのか分からなかった。反射的に分かりましたと答えて、席を立つ。
彼が右手を差し出す。ああ、握手をするのか。手を差し出す。彼の手はとても暖かい。
瞬間、手の骨が軋むような力で握られた。私は思わず声をあげてしまった。

「また会えると思っているよ」

そう言って彼は部屋を出て行って、そそくさとどこかへ行ってしまった。
なるほど、外人は全力で握手をするらしい。別れ際の彼の瞳が仄かに輝いていた。まるで獣のようだなと思った。
とたんに力が抜けて、私は座り込んでしまった。怖かったのだ。外人とまともにしゃべったことすら、今まで無かったのだから。
涙で視界が滲む。しかし、そんなことをしている時間は無い。本を読まなければならない。
私は左手に持っていた本の題名に目をみやる。見えない。手でぬぐってから、また見る。

表紙には「Monkey Buisiness」と書かれていた。



63 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/18(水) 22:12:55.43 ID:gASop8bT0
私はビルの一階にあったレストランでその本を読み始めた。
その本は、投資銀行、すなわち外資系投資銀行に大望を抱いて入社した若者が、常軌を逸した労働環境に挫折し、退社するまでを綴った物語だ。
日本語版は「投資銀行残酷物語」として知られ、ウォールストリートのカルチャーの異常さが頂点に達していた頃に書かれた作品でもある。
週100時間を常に超える労働時間に、初年度から10万ドルを超える丘陵、
金と欲望に溺れる異常な性格の人間たちの群像劇が様々な実例を交えて克明に描写される。

しかし私はそれを読んでいる間、頭にあることはただ一つだけだった。

「このまま就職できないことの方が、この本で書かれていることよりも余程恐ろしい」

当時は既に90年代の不況時の就職氷河期世代の苦境がメディアでも度々取り上げられており、学生の間の危機感、恐怖感は非常なものがあった。
人生おりこうちゃんで過ごしてきた私のプライドは、仕事に何を求めるべきかといったような問いは面倒くさいものではなく、
眼前のフリーター地獄、今で言えばワーキングプアに対する恐怖ばかりを感じ取っていたのだった。



66 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/18(水) 22:20:06.72 ID:gASop8bT0
私は昼にはそれを読み終えていた。読み終えると、まずはごはんを食べようと思った。
外食は、大事なことに臨む前の贅沢と心に決めていた。
私は大好物のカルボナーラを頼んだ。
その昔、大学の入試を受けるために上京したとき、渋谷の公園通りにあったドトール系列のスパゲッティ屋で始めてパスタを食べた。
そのときは世の中にこんなに美味しいものがあるんだ!?と思ったのを今でも覚えている。
そして入試は受かった。今度も大丈夫。私はゲンをかついだのだ。デザートも食べた。
会計を済まし、小銭を無くして人心地つく。いつも小銭を少なくするように払うのが私の癖だ。

(今日は贅沢しちゃった。。。あーあ、お金も無くなっちゃったよ。)

そして心を落ち着け、私は公衆電話で電話をかけた。
別の人が出た。待たされる。やっと出た!

「さっきは面接をありがとうございます。あの本を読ませ・・・」

ガチャン!と音を立てて、通話が切れた。電話が1分以上かかってしまった。財布を見る。小銭は、もう無い。札も無い。

「NOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!」



72 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/18(水) 22:28:02.99 ID:gASop8bT0
思えば、これが人生で始めてナチュラルに英語を発音した瞬間だった。
しかしその時の私はそんなことを考える余裕も無く、赤坂アークヒルズのエスカレーターを駆け上がっていた。
エレベーターを見る。ダメだ、来るには時間がかかる。
ビル受付で要件を伝え、非常階段に飛び込む。駆ける、駆ける。ヒール、折れる。私、こける。

息も絶え絶えで会社受付に飛び込み、要件を伝える。

「@@@@さんを出してください!」

受付の人は戸惑いながらも、彼を電話で呼び出す。英語の呼び出し方はかっこいい。
間もなく、彼が降りてきた。開口一番彼は微笑み、

「君はいっつも忙しそうだね」

私は咄嗟に考える。

(えっと、本を読んで、やる気あるから働かせてくれって言おうと思ったんだけど、お金が切れて、あ、携帯持ってなくって・・・!!!)

もうだめだ。そんなに咄嗟に英語で喋れない!
何を思ったか、私は空になった財布を出して、上下に振ってみせる。マフラーが帯電してちくちくと痛い。
すると彼は優しく財布を持っている私の手を包み、ゆっくりと言った。

「電話がかかってきたときに君の気持ちは分かった。
 それからすぐ走ってきたことで君のやる気も分かった。
 そして今の表情で、君の人柄も分かった。
 明日、オファーレターを用意しておく。午後1時にここに来てくれ」



75 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/18(水) 22:33:47.26 ID:gASop8bT0
オファーレターというのは、外資系企業における雇用契約書で、内定の証である。
ここにはベールに包まれた報酬体系や内規が記されており、法的拘束力の無い文言が並ぶが、
社内では非常に重要な文書として扱われる。

私は何が起こったのか分からなかった。ただ、ひたすらサンキューサンキューと繰り返した。
何だか、涙が出てきた。やった、やった、これでようやく、ちゃんと働ける!
私の脳裏には数日前友人から言われた言葉があった。

数日前、私は友人の卒業試験の勉強を教えていた。彼は、省庁に内定が決まっていた。
勉強がひとしきり終わると、彼は聞いてきた。



76 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/18(水) 22:38:37.04 ID:gASop8bT0
彼「なあ、1は海外の大学院に行くんだろ?どこに行くんだ?不均衡動学をやりたいならMITとかがいいよなあ」
1「・・・」

私は素直に話そうかどうしようか迷った。
みんなが就職活動をしている頃、1はどこを受けるの?と聞かれても、まだ勉強したいと答え続けてきたのだ。
いまさら、実は就職活動をしていて、どこも受からなくて困っているなんてことは言えない。
お金が無いから、さいきん塩粥ばっかり食べているなんてのは、もっと言えない。
でも嘘は良くない。複利で将来さらに思いツケを払わされることになるからだ。親にもそう教えられてきた。

1「私、就活してるんだ。。。でもまだ決まってなくて、、、」
彼「・・・え?まじで言ってるの?今から採用してくれる企業なんて…いや、ごめん。
  でも1は成績も良いんだから、就職留年して…」
1「私、奨学金だから、留年すると学費払えなくなっちゃうんだ。休学を申請するにはもう遅いし、親には申し訳なくて言えない」
彼「でも、このまま行くと、どこにも行けなくなるぜ?」
1「・・・」



80 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/18(水) 22:47:58.87 ID:gASop8bT0
それから彼に相談に乗ってもらった。原因ははっきりしていた。
学問に心を残す余裕がまだあり、切羽詰っていない分、私はやる気が無さそうに感じられるのだ。
それがはっきりしてからは、彼がなぜ省庁の仕事を選んだかという話を聞いていた。

彼「いや、自分一人生きていくだけだったら、別にフリーターだって生きていけるとは思う。
  でもせっかく大学まで来て、人よりたくさん勉強してきて、ただ自分のためだけに生きるっていうのは、どうかと思ってさ。
  自分に余裕があるなら、少しでも人の役に立つような、困っている人を救うような仕事がしたい。
  それもできるだけ多くの人を助ける仕事がね。
  結局、民間って、自分のとこの利益を追求することが一番の目的じゃん?
  省庁には、誰かの希望になろうと働く人がたくさんいる。自分もそれに加わって、社会に貢献したいんだ」



81 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/18(水) 22:50:58.70 ID:gASop8bT0
当時の私の大学ではまだ官尊民卑のカルチャーがあり、官庁に進む人間と民間に進む人間の間には明確な評価の差があった。
官庁に進む人間は無条件に凄く、民間はその次。そんな感じだ。
今でこそ、外資系に進むという進路が一般的になった分
「俺は官庁の人間と同じくらい優秀だが、若いうちに活躍したいし収入も欲しい」
という言い方が可能になっているが、当時は違った。

私は悲しくなってしまった。
何なのだ、この差は。
彼とは教養学部の頃から同じクラスで、ずっと試験の度には勉強を教えてきた。彼はずっと、私の教え子だった。
でも今はどうだ。彼は未来ある高級官僚で、私は根無し草になろうとしている。
私が、いったい何をしたっていうのだ。いや、何もしなかったからこうなっているのだが、だからってこの展開は無いだろ。
私だって、夢を語って、人に尊敬されるような仕事をしたい。
じゃあそれは何だ?
私は学者にもなれず、官僚にもなれない。それどころか、サラリーマンにもなれない。フリーターにだって、なれるかどうか分からない。



82 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/18(水) 22:53:08.60 ID:gASop8bT0
私は悲しくなってしまった。
何なのだ、この差は。
彼とは教養学部の頃から同じクラスで、ずっと試験の度には勉強を教えてきた。彼はずっと、私の教え子だった。
でも今はどうだ。彼は未来ある高級官僚で、私は根無し草になろうとしている。
私が、いったい何をしたっていうのだ。いや、何もしなかったからこうなっているのだが、だからってこの展開は無いだろ。
私だって、夢を語って、人に尊敬されるような仕事をしたい。
じゃあそれは何だ?
私は学者にもなれず、官僚にもなれない。それどころか、サラリーマンにもなれない。フリーターにだって、なれるかどうか分からない。

絶望に包まれた。
PCに届くお祈りメールを、面接のときの面接官の冷たい視線を思い出す。それら全てが社会からの絶縁状として、私の心に圧し掛かる。
窓から外を眺める。笑って歩く人の群れが見える。ゴミのよう。みんな死んでしまえばいいのに。なんで私だけが。。。
木造の校舎は冷える。嬉々として夢を語る彼の横で、私の心は堕天した。

絶対に、負けたくない。誰にも、負けたくない。



86 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/18(水) 23:02:12.97 ID:gASop8bT0
そしてその日、家の小さい小さいテレビで>>29の番組を見た。ここに賭けるしか無い。
私の心に今まで感じたことの無い炎が灯る。小昏く、蒼い、温度も低く、しかし決して消えない炎が。



私はふとはっとする。ああ、ここは赤坂アークヒルズ。今面接官の外人から内定の口約束を貰った。
涙が止まらない。涙が止まらない。受付のお姉さんたち、困り、近寄り、ハンカチを差し出してくれた。高そうなシルクのハンカチだった。

受付嬢「あなた、凄いわね!ワインバーグ(仮名)に直接あんな風に言ってもらえるなんて!聞いたこと無いわよ」

何のことだか、分からなかった。私にとってはただ獣のような瞳をした、ただの優しい外人だった。だが偉い人だったらしい。

後に私は、私に手紙を寄越したあの獣の瞳の男が、
未曾有の可能性を秘める日本市場を開拓すべく本国から送り込まれた投資銀行本部長であり、
旧電電公社の民営化や大手損害保険会社の合併などを主導した伝説のバンカーであったことを知った。


1.私がなぜそんなところに就職したか   糸冬


Posted by Gestalt★彡 at 16:58│Comments(1)
この記事へのコメント
buisinessか
Posted by 2w at 2013年09月21日 06:03
 
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