ツクバダイガクタノシイデス。

2009年02月27日

外資系企業に勤めてたけど今日クビになった の続きを③

二人の関係を読んでるとあれを思い出しました。ほら、パルフェ・・・・・・・・。
里枷子は俺のよm・・・・やっぱ主人公の嫁です><

349 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 03:58:34.94 ID:ZJHTbWj30
ボブ外伝


キスをされてまず思ったのは、

(ボブ意外と唇柔らかいな)。

人間、予想外の出来事に出くわすと、何処かピントのずれたことを考えたりしたりしてしまうものである。
しかし、次の瞬間には思考が賢者モードに切り替わった。ボブが舌を入れようとしてきたのだ。
私は歯を閉じて舌の進入を拒む。ボブはなおも侵攻する。まずい、こいつ本気だ。
そして顔をのけようと手を顔に近づけると、向こうは向こうでこちらの両腕をホールド。しばし近距離組手タイム。

しかしボブは強かった。兵役が終わっていたこともあって、膂力は申し分無い。
そのうち、どうやったのか分からないが私の腕はX字型に固定され、再びキスされた。

(もうだめだー・・・)

もうどうしようも無い。絶望とはまさにこのこと。世の中に正義は無いのかとか本気で思った。
しかもボブは空いた手で色々と触ってきた。

(きさんそのヴィクトリア・シークレットさんがいくらすると思っとーと!?)

と心の中で叫んでいた。涙が、流れた。



353 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 04:03:06.14 ID:ZJHTbWj30
泣いて嗚咽するとボブはさすがに侵攻の手を緩めて話しかけてきた

ボブ「・・・1、どうしたの?」
1 「・・・coward」
ボブ「・・・え?」
1 「この卑怯者!」

と叫んで張り手一閃。
と行きたいところだが、完全なマウント・ポジション下での張り手カウンターは力が入りきらず、いまいちだった。

ボブ「!!何すんだよ!?」
1 「強引にするなんて最低!もっと他のやり方あるでしょ、場所だってあるでしょ!あせdrftgyふじこ!!!!」

と相手のお家芸である火病状態で覚醒していたら、再度顔を近づけてきたので、やむなく全力で頭突き。

ボブ「アーーーーーーーーウ!」

その隙にドアを開けて全力で外へ。タクシーを拾って即ホテルに向かう。
服が乱れまくってたのでタクシーの運ちゃんにも微妙に襲われかけながら、何とかホテルに到着。
日本人って尻軽だと思われてるのか?と本気で思った夜だった。
ついでに、一張羅にしようと思って買ったアルマーニのドレスは色々とアレなことになってて、気持ち悪かったこともあって捨てた。
歯を磨いて、シャワーを浴びた。浴びてる途中、思い出してまた泣いた。本当に怖かった。
漫画で見ていたようなドラマはそこには無く、異国にまで出張してきた田舎娘の幼さが踏みにじられた残酷さがただあった。
シャワーの水滴が頬を伝う。どれだけ涙が流れているのか分からないが、頬を伝い流れるシャワーの水全部が自分の涙のように思えた。

そのまま寝て起きると、外は小雨だった。空が自分のために泣いてくれているようで、少し気が晴れた。


ボブ外伝  糸冬



356 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/19(木) 04:11:55.04 ID:Zq6XcNy0O
研修の次は何編なんだ
357 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 04:13:22.20 ID:ZJHTbWj30
さて、これから何を書いていこうか。。。

やべ、今朝歯医者の予約入れてたんだった。あたまいてえ
358 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 04:15:45.72 ID:ZJHTbWj30
>>356
そこなんだよな。

研修から帰ってきた後は仕事の話ばっかになっちゃうから、
仕事以外の話を軸に書いた方がたぶん読みやすいと思うんだが、
自分としてはどういうのを軸にすれば面白く読んでもらえるのかで悩む




369 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 04:36:50.54 ID:ZJHTbWj30
研修から帰ってきた後、私は猛然と働いた。
いや、働かされた、のか?今となってはどちらか分からない。
とにかく3年目の中ほどまでは盲目的に降ってくる仕事を、選ばず、ひたすらこなした。
昼はカフェインを大量摂取し、夜帰ることの出来た日は携帯電話を枕にして眠り、毎日ゾンビになったような気分だった。

初めてボーナスを貰ったときは今でも忘れられない。
当時は景気が悪く、大した額では無かったが、それでも同級生の年収程度には貰うことができた。
私は半分を両親に送金し、残りの半分を貯金した。ところが、数日して、両親に送ったはずのお金が振り込み返されてきた。
しばらくして手紙が届いた。メッセージが書かれていた。

「親からの愛は、わが子への愛を以って、報いるべし」

相変わらず達筆だなと思いながら

(悪いがとーちゃん、まだ結婚はできんとよ。いい人もおらんっちゃもん)

そんな風に思いながら働いてるうちにどんどん時間が過ぎた。



371 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 04:44:40.95 ID:ZJHTbWj30
気が付けば、私はアナリスト・プログラムを終えようとしていた。
そう、投資銀行での勤務は最初の三年が一区切りというが慣例だ。
それを終えた社員は、そのまま残ることを打診された人の他は、
会社を辞めてMBAを取りに海外に留学するか、転職をすることになる。

分かりやすく言えば、大学と同じだ。
普通の人は、学部で卒業する。勉強好きで成績の良い人が、修士に進学する。もう勉強極めようと思った人が博士に進学する。
その中でも変わり者かつ優秀(と評価された)な人間が、大学で教鞭を取る。
投資銀行も同じく、年収が数億だとか数十億になる人間とは、大学における大学教授と同じく、よほどの変わり者か天才のどちらかなのである。

私はと言えば、その次のオファーを貰うことができた。
しかし、私は正直迷っていた。このまま働き続けるかどうか、留学をしなくてもいいのか。
実家の両親からしょっちゅうお見合いの写真が送られてくる。それなりに興味はあるのだが、お会いする時間が取れない。
このままでは子供を授かることなく人生を終えるかもしれない。次の3年を終えれば30は目前。初産が厳しくなってくる。
そんなことを考えながら、踏ん切りがつかずにいた。



378 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 05:02:34.12 ID:ZJHTbWj30
ちょうどその頃、久しぶりに大学時代の友達と集まることになった。
教養時代のクラスが一緒だった仲間たちで、既にちらほら既婚者がおり、子供が出来た人も何人かいた。

そこで私は面白い現象を耳にする。
女性陣の結婚ターゲット層、銀行や証券、保険といった、言わば派手すぎず地味すぎずなかなかの給料の業種なのだと言う。
逆にテレビ局や広告の男性は、遊び人であるリスクが高く、現実的でないと言う。

(なんだか狩人というか、投資家の会話みたいっちゃ)

彼女らはワークライフバランスのとれた生活を送っているのだろう。肌は美しく、髪もしなやかで、服もきれいだ。
私は、大分老け込んだ気がする。
目にはかすかに隈が刻まれ、最近はファンデのノリも悪い。ヘアパックをする時間は全く無い。
服はいつもアルマーニ、靴はバレンシアガ。われながら色気は全く無い。とりあえず買って着てるというのが正しい。

彼女らは恋の話に華を咲かせる。私はそれに加われないのが悲しい。
それに、自分の仕事を言ってなかったせいもあって、大学を出てから恋人は一人もできていないと言うと、彼女らは驚いた。

「まあ、色々とあるものね。いい人が見つかるわよ」

私には彼女たちの視線が

「この人、いったい何をしてたのかしら」

と言っているように見えて、少し寂しかった。



380 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 05:10:07.52 ID:ZJHTbWj30
話は続き、結婚した友達との話に話題は移った。

「理恵って、実業家と結婚したんだってー」
「へー年収どれくらいなの?」
「なんか2000万くらいって言ってたよ」
「ふーん、大したこと無いね。それに自営業でしょ?超不安定じゃん」
「だよねー。やっぱ自営業なんだったら、相当貯金とか資産無いと不安だよね」

異次元の住人の話を聞いているようだった。
その男性の人柄だとか、出会いだとか、そういった話は全てすっ飛ばされていることに違和感を覚えた。
学生時代は、みんなもっと素朴な話をしていなかったか?

「あ、そうそう。恵理は外資系の証券マンと付き合ってるんだって!」
「へー凄そう。で、いくらくらいなの?」
「2000万近いらしいよ」
「凄い!年はいくつなの?」
「30半ばらしいよー」
「でも30半ばなら全然アリだねー、恵理勝ち組だなー」

「勝ち組だなー」という言葉が私の頭でこだました。



384 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 05:19:12.71 ID:ZJHTbWj30
この人たちは、不思議な戦いをしている。
いかに条件の良い男性と付き合えるかが、自分の魅力であり、自分の価値の証明であるかのように嘯く。
しかしそんなのは本当に幸せだろうか?それなら、ビル・ゲイツと結婚するのが一番っていいことになるのかしら?

では、逆に考えれば、凄く良い人だと思う人がいても、その人が収入が低かったりすればアウトなのだろうか?
そしてそういう目で、他人の伴侶を品定めするのだろうか?
それは、傲慢ではないのか?

そんな風に自問自答をしていた私に友人の一人が声をかけ、私はふと我に返る。

友「1はどういう仕事してるの?」
1「え・・・証券会社」
友「へー、なんてとこ?」
1「いや、たぶんみんな知らないと思うから」
友「そうなの?いくらくらい貰ってるの?」
1「(ええええ、、いくらくらい貰ってるもんなんだ、普通は?)
  ・・・600万円くらい?」
友「あーやっぱそんなもんだよねー。私バリバリ働く仕事じゃなくて良かったな」

いくらと言えば色良い返事が貰えたのかは分からないが、
恵理の彼氏とやらの年収を超える実際の年収を言っても満足してもらえないのは明らかだった。



387 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 05:28:18.76 ID:ZJHTbWj30
集まりが終わり、私は疲れきってしまっていた。
なるほど、私がこれまで参入していなかった結婚マーケットというのは、私が想像していた以上にシビアであるらしい。
結婚はしたいと思っているが、人の収入と言うふんどしで相撲を取るなんてまっぴらごめんだ。
お嫁さんになろうとすればするほど、このジレンマと戦わざるを得ないのだろう。

店を出て、みなは二次会に行くと言う。頬はほんのり赤く上気し、声は明るく、楽しそうだ。
でも私はそこに行っても楽しめないだろうという直感があった。
いつの間にか、私は異邦人になってしまったかのようだった。

みなに断りを入れ、用事があると言い、タクシーを拾ってオフィスに向かう。
後輩を一人置いてきたのだ。せっかくの休日だから、彼女と過ごす時間も欲しいだろうし、部屋の掃除もしたかろう。
幸い、私の部屋で待つ人はいない。汚すほど家にもいないし、家事は家政婦さんがやってくれる。
今日は後輩のために人肌脱いでやろう。そして仕事が終わったら、またカルボナーラを食べよう。

そんなことを考えながらタクシーは外苑西通りを走る。
車窓から覗くイルミネーションはいつもより眩しく感じて、少し居心地が悪かった。

「やっぱり、まだ働こう」

涙で、イルミネーションは滲んだ。



388 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2009/02/19(木) 05:31:11.77 ID:bgqX/bGA0
>>387
家政婦雇ってるのかよ
っていうかその同窓会のとき>>1は何歳くらい?



393 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 05:40:53.79 ID:ZJHTbWj30
>>388
週1回、6千円で何から何までやってくれるから、たまに頼んでた。
そのとき25。社会人3年目の冬。



472 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 16:22:24.66 ID:ZJHTbWj30
>>440
保守ありがとう!
そういう経験、後々必ず役に立つよ
これからもがんばってほしい

>>455
それは、、、大変だったね
うちの場合、それやるとクビにされてた
本人は何も悪くないんだけどね

>>458
中州オススメ

>>464
おっはー☆


***


さて、これから書く話は、私がクビになった経緯になるかと思う。
少々長くなると思うが、お付き合い頂きたい。
しかし、私は少なからず不安だ。
と言うのも、それは特定されるかどうかなどとうことではなく(それはされても別に問題無い)、
今まで応援してくれたみんなの反応がどうなるか、という点に恐怖している。

それでも私が離れている間、スレを保守してくれた人の気持ちに応えるべく、つらつらと書いていきたい。



477 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 16:36:12.03 ID:ZJHTbWj30
私は職位が一つ上がった。アナリスト・プログラムを終え、アソシエイトになった。

話に入る前に、背景の説明をしておこう。外資系証券会社の職位は多くても5つだ。
奴隷と揶揄されるアナリスト(Ana)、そして奴隷使いであるアソシエイト(Aso)、中間管理職ヴァイス・プレジデント(VP)、
最後に、実質上の最高職位であるマネージング・ディレクター(MD)だ。
会社によってはVPとMDの間にシニア・ヴァイス・プレジデント(SVP)と呼ばれる職位があったり、それをディレクター(Dir)と呼んだり、
マネージング・ディレクターの更に上のパートナー・マネージング・ディレクター(PMD)があったりする。

私のいた部門では、VPまでは3年ごとに昇進のプロモーション会議に諮られる。
つまり、Ana3年生でAso1年生に上がれなければクビだし、Aso3年生でVP1年生に上がれなければクビだ。
VPからMDに上がれるかどうかは、全くの実績勝負になるが、通常数年以上を要する。
そしてこのMDというタイトルが年間数億から数十億のサラリーを受け取るmilionaire employeeなのだ。
多くのAna達は、いつの日かMDになることを夢見て、日々の奴隷生活に耐えている。そしてそれを知っているから、上司達はAnaをこき使う。
言わば、投資銀行の上下関係とは、調教師が馬にまたがり、目の前にニンジンをぶら下げながら必死にムチを振るっているようなものだ。



479 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 16:43:57.72 ID:ZJHTbWj30
かく言う私も、雨のようにムチを浴びながら最初の3年を過ごした。
毎日帰れるかどうか分からない生活。金曜日には必ず「これ、週明けまでにやっておいて」と膨大な仕事が降ってくる。
休日を取った記憶は無い。
社内の内規では、会社側のリーガル・チェックを兼ねて年間5日間の連続休暇の取得が義務付けられていたが、
東京では有名無実で、私は長期期間中にはジーンズを履いて出社し、ノートPCで仕事をした。
お盆もクリスマスも、正月もバレンタインも無かった。
切ない思いをするような余裕も無く、砂漠を歩くような気持ちで毎日会社に通っていた。

今思えば、こんな生活が破滅の序曲であったのが、それを知るにはまだ私は若過ぎた。
私は25歳の春を迎えた。
480 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 16:49:34.39 ID:ZJHTbWj30
配属は事業法人部を希望した。まあ営業のようなものだと思ってもらえればいい。
営業(カバレッジ・バンカー)が取ってきた仕事を、主に内勤している人々(プロダクト・バンカー)が形にして、サービスとして提供する。
この辺を詳しく書いていると日が暮れるので、興味がある人が質問してくれたら答えることにする。

同期のアゴは内勤を選んだ。誰もが、内勤の仕事を選んだ。
それには明確な戦略的な動機があった。
投資銀行では新卒で入社した人間達をプロパーと呼び、その多くがプロダクトの部署に配属される。
それは、内勤の部署が研修およびAna時代の奴隷生活で叩き込まれるスキルやノウハウを必要とするために、
MBA卒や中途採用の人々に対し、圧倒的な優位性を発揮できるからである。
そしてこれらの部署は資本市場部と呼ばれる部署を除き、クビのリスクから最も遠い職場なのである。
つまり、プロダクトに進むということは、新卒である強みを活かし、なおかつ長期的なキャリアと財産の形成を図ることができるということを意味した。

では何故私が営業、カバレッジの仕事を選んだのか。
それは非常に素朴な理由だった。



482 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 16:55:55.01 ID:ZJHTbWj30
プロダクトは、案件の死刑執行人である。客を生かすも殺すも、彼らの自由。
彼らがちょっと数字をいじれば、顧客が我々に支払わなければならない手数料、様々なコストは億単位で変動する。
それが故に、プロダクトでは水をも漏らさぬ慎重さと正確さが要求され、勤務時間も殺人的なものになる。
そのため、彼らのプライドは非常に高く、客を見下すような態度を取ることもしばしばであった。

「ここのこれ、どうしますか?」
「まーあいつらメーカーだし、細かいことどうせ分からないから、もうちょっと乗っけとけよ」
「そうですね。どうせ我々がこの合併やらなきゃ遅かれ早かれ潰れるんだし」
「おい、ちゃんと他の手数料請求するのも忘れるなよ」
「我々一人当たりに月300万ってやつですよね?」
「そうそう、それが俺達の夜食代とタクシー代になるんだから、きっちり頂かないとね」

そんな会話が、プロダクトの頂点、M&A部では何の罪悪感も、疑問も持たずに交わされていた。



487 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 17:06:12.13 ID:ZJHTbWj30
実は、私は当初ここ、M&Aに配属される予定だった。
理由は知らない。おそらくは私の人見知りする性格や、コツコツ仕事をする姿勢が、向いていると思われたのだろう。
しかし、上司は私の本質をよくは理解していなかった。

私は、元を正せば、農家の末っ子だ。
春にはレンゲの花が咲き乱れる田んぼで遊び、夏には川にザリガニを取りに出かけた。
秋には焼き芋や干し芋をおやつにして、冬は母に甘えながらこたつで過ごした。
農作業でゴツゴツとした母の手は、みかんをきれいにつるつに剥き、それがなんとも頼りがいのあるように思えたものだった。
父は学歴が無い分、非常に厳しい倫理観を持った人で、よく私は納屋の柱に縛り付けられて放置され、
世の中のやっていいことと悪いことの基準を教えられた。

我々の顧客である企業には、たくさんの人々が働いている。
形はどうあれ、多くの場合それらは、従業員の努力の賜物であり、血と汗と涙の結晶であり、人生そのものなのだ。
人の人生を踏み躙るように扱っていいと教えられたことは、幸か不幸か無かった。
いや、キャリアから見れば不幸であったことは間違い無かった。そのまま黙ってM&Aにいれば、今も私は会社にいただろう。
しかし、決定的な事件が起こった。



531 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 21:21:49.44 ID:ZJHTbWj30
それはある外食企業による買収案件を担当したときのこと。
その買収にはかなりの資金が必要だった。
弊社が資金調達を担当するとともに、過剰な設備や事業を売却して資金を確保することが必要だった。
しかし、その会社の株式は市場での反応が宜しくなく、十分な資金を調達できる目処が立たなかったため、
我々は企業政策の聖域である人事に手を入れることになった。
日本の労働法では、従業員を簡単には解雇できない。告知時期や整理解雇4要件など、クリアしなければならない問題が山積していた。
それらを解決するために、私は、法律事務所の弁護士と協議しながら、架空の稟議書などの文書作成を始めた。

毎日が苦悩の連続だった。
買収後のモデルを回すと、どうしても株式発行による資金調達では足りない。銀行とブリッジ・ローンを組成しなくてはならない。
しかし人件費および販売管理費が大きい現状では、大きな融資枠は期待できない。
ここは足元のキャッシュフローを犠牲にしてでも、人員整理を断行し、長期の事業継続性を銀行に説いて融資を取り付けなければならない。
そんなことは分かりきったことだ。
この3年間、財務諸表を見るだけで問題を発見し、解決する能力やスキルを叩き込まれてきた。
だが、財務諸表の上では単なる数字であるこの部分には、多くの従業員の人生が乗っかっているのだ。
532 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 21:24:03.96 ID:ZJHTbWj30
今、製造業における派遣切りが問題になっている。一方で、トヨタ自動車の13兆円超の内部留保を批判する声も聞く。
これも同じ問題だ。
企業の内部留保は、すぐに現金および現金同等物に兌換可能なものではない。企業側も派遣を切りたくて切っているわけではないのだ。
これも分かりきったことだ。
問題は、だがそれでいいのか、ということだ。
企業は誰のものなのか。株主のもの?従業員のもの?経営者のもの?いいや、みんなのものだ。
苦しいのはみんな一緒だ。弱者を切り捨てていくようでは、わざわざ人が社会を形成した意味はどこへ行ってしまうのか?

そんな葛藤を抱えながら、私は業務を遂行した。案件は成功した。
どれほどの従業員が犠牲になったかは知らない。私の耳に彼らの声は届かない。

「こら1!なんばしよーとね!されたら嫌なことは人にしたらいかんち言うとろうが!」

父に母に、叱られた気がした。
法律事務所の豪華な会議室は、実家の納屋と同じ陰鬱さを湛えており、
私は誰に言われるまでも無く二度と同じ仕事をすることは無い予感に包まれた。



534 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 21:27:52.07 ID:ZJHTbWj30
それから私は、顧客の目線に立って仕事をしたいと思うようになった。
こうした姿勢はM&A部との軋轢を生む。当然だ。
凄く単純化した話をすれば、手数料を払う客と、払われる我々とでは利益が相反する。
顧客のために資金調達コストを下げれば資本市場部と対立し、無理なM&Aについては無理だと正直に言えばM&A部と対立する。
それでも私は人の涙をすするよりは、拭く仕事の方が、私にとって価値があるような気がしたのだ。

かくして、私は、事業法人部、General Industry Group(GIG)への配属を希望した。
誰もが驚いた。M&A部への配属を断って、クビのリスクも高く中途採用の百戦錬磨ひしめくGIGに行ったプロパーなど今まではいなかった。
だが誰にも分かってもらおうとは思わなかった。
どうせ、私はアウトローなのだ。望んで来た業界でもなければ、来るべくして来たとも思っていない。
ならば、自分の信条に従って仕事をしたって、いいじゃないか。



539 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 21:36:08.76 ID:ZJHTbWj30
最初の3年間の勤務を終え、貯金はそれなりにあった。
仕事をクビになれば、海外で学位を取ればいい。
貯金が無くなる?いいじゃないか、別に。
何度だって文無しになればいい。元々、着の身着のまま飛び込んだ世界だ。
私は、その希望が受け入れられずにクビになるとしたら、それはそれで踏ん切りがつくとすら思っていた。
そんな私に下された辞令は予想外のものだった。



542 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 21:42:32.24 ID:ZJHTbWj30
辞令は、ニューヨーク本社のM&A部への転属だった。期間は一年間だと言う。
私は何が起こったのか分からなかった。
投資銀行において、M&A部が社稷の館であることは既に述べた。そこは権威の象徴でもあった。
ニューヨーク本国のM&Aと言えば、希望しても行けるような場所ではない。
いや、そもそもニューヨークへの転属さえ、Mobilityと言って、全社員のうち特に優秀な人間が許されて派遣されるものなのだ。
前年に同期のアゴが上司の推薦を受けて選ばれていたこともあって、我々同期はニューヨークに行くことはもう無いだろうと思っていたのだ。
それも私が望んでもいないM&A部に。一体何が起こったのか?



547 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 21:52:50.11 ID:ZJHTbWj30
同時刻、ニューヨーク、M&A部。
ニューヨークのM&A部の規模は、東京のそれとは次元が違う。
東京のM&A部が20人に満たない人間で全ての業種の企業買収・合併の執行と行っているのに対し、
ニューヨークのM&A部は総勢数百人を擁し、各業種ごとに東京を遥かに上回る規模のM&A部隊が存在する。

中でも、自己資本投資部(Principal Investment Area,PIA)は、選りすぐりのエリートを抱えていた。
PIAの大きな特徴は、日本であれば総合商社が行っているような自己資本投資の案件をも扱っており、
債券部に所属する特殊領域部(Special Situation Group)と連携し、
バブル期以降割安になってきた日本企業の不動産資産や事業への投資に注目していた。



554 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 22:00:15.28 ID:ZJHTbWj30
そこで、ニューヨークのPIAでは、本国と東京オフィスをつなぐ人材の育成を検討し、部内で人選を進めていた。
対象はAso1年生前後のクラス。本国への招聘コストが低く、専門も決まっておらず、なおかつ期待勤続年数が長い。
人選は難航した。
テックバブルの崩壊に伴い、グローバル規模で私が入社する前にアナリストの約半数がクビになっていたために、
そもそも採用数が少なかった東京では人材が枯渇していた。

首脳部はPIAの若手にヒアリングを行うことにしていた。
ニューヨークの研修で東京オフィスの人間と一緒であった彼らならば、
まだ実績を上げていない若手のポテンシャルについても把握しているだろう。
彼らはPIA所属のプロパーの若手を一人一人呼び出した。
しかし誰一人として、具体的な人物の名前を挙げることはなかった。
困り果てた彼らは、当時新進気鋭のAna3年生であったアナリストを呼び出した。



556 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 22:05:35.46 ID:ZJHTbWj30
首脳部  「で、どうかね?東京から一人呼んで、こちらで鍛えるとしたら」
アナリスト「そうですね。1というAna3年生がいます。彼女は非常に優秀ですし、東京に染まりきってもいません。」
首脳部  「ほう、なぜそんなことを知っているのかね?」
アナリスト「研修で隣の席で、いつも会計やモデルを教えてくれました。おそらく、こちらのアナリストの教育も熱心にやってくれるでしょう。
      そして、M&A部にはおそらく馴染まないでしょう」
首脳部  「どうして?」
アナリスト「未熟だからです。しかしPIAとしては最適の選択と考えます」
首脳部  「なるほど。ではその人物にするが、君はその女性のスタッファーとして色々とサポートしてやってくれ」
アナリスト「分かりました。任せてください」

スタッファー(Stuffer)というのは、仕事を振り分ける人だが、仕事上の悩みなどを相談する先輩役なども兼ねており、
仕事上非常に重要な存在である。
人を活かすも殺すも、スタッファーの胸先三寸で決まる。
彼は研修をトップクラスの成績で終え、直接ニューヨークのPIAに配属されたアナリストだった。
グローバルで500人近くいた同期の中で、PIAに配属された人間が五指に満たない。
その中でもスタッファーに選ばれるのはたった一人。MDへの階段を着実に上る。一つのエビデンスである。
彼は、いわゆるトップ・エリートだった。



561 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 22:11:31.70 ID:ZJHTbWj30
同時刻、東京。
かくして、M&A部を振ってGIGへの配属を希望したために社内でつまはじきにされた私は、
ニューヨークへの1年間の赴任が決まった。
私は少し迷ったが、受けることにした。

(また海外に行ける。セントラル・パークでチーズケーキが食べれるんだ)

もうどうにでもなれという気持ちだった。東京の地獄のような生活が疲れていたこともある。
私は、古くからの友人に連絡を取った。彼にだけは、話しておいても良いだろう。
>>80に登場した、良き友人でもあり、良き教え子でもあった、省庁に進んだ大学の同級生である。



565 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 22:22:29.36 ID:ZJHTbWj30
会社からの帰り道に電話をかける。時期は2月下旬。まだ肌寒い。
でも今日は歩いて帰ろう。タクシーだと、すぐ家に着いてしまうもの。
時刻は深夜2時。出てくれるだろうか。もう何年も連絡していないのだ。
繋がった。番号は変わっていなかった。
何を話すというのか。海外に行くことになったということだろうか?たった1年間だと言うのに。
いや、そうではない。
私は見返したかったのだ。
私だって、立派にやっているんだよと、彼には言っておきたかったのだ。
彼が、電話に出た。



569 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 22:30:24.21 ID:ZJHTbWj30
彼「もしもし?」
1「もしもし?」
彼「おお、久しぶりだなあ。何年ぶり?」
1「卒業式以来だね」
彼「そうかあ、もうそんなになるのか。あっと言う間だね。」
1「うん、昔が懐かしいね。今会社?」
彼「うん、今予算の時期だからね」
1「そっかあ、大変だね」

とりとめの無い話が少し続いた。



571 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 22:34:16.96 ID:ZJHTbWj30
彼「で、わざわざ電話をかけてきたってことは、そんな無駄話をしたいからじゃないだろう。どうしたんだ?」

私は彼の鋭さに感心して、少し傷ついた。無駄話をしたいというのは、いけないのだろうか。

1「うん、私実は証券会社で働いてるんだけどね」
彼「へえ、意外だな。研究所にでも行ってるのかと思ってた」
1「うん、私もそう思ってたよ」
彼「で、どうしたんだ?」
1「えっと、、、今度海外に行くことになって、、、だからちゃんとやってるよっ!って、、、知ってもらいたかったの」
彼「へえ、奇遇だな。俺も4月から海外なんだ。」
1「え!?ほんとう?」
彼「ああ、本当だ。省内の留学制度で、ニューヨーク大学のスローンっていうところに2年間通う。もう辞令も出た」
1「・・・」
彼「おい、なんだよ。どうした?」
572 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 22:37:28.74 ID:ZJHTbWj30
私は携帯から耳を離して空を見上げる。偶然ってあるもんだなと思う。
学部時代、私は海外の大学院に行って研究職になりたいと言い、
あまり勉強が好きではなかった彼は将来仕事で行ってみたいと言っていた。
私たちは仲が良くて、学内の食堂で、渋谷のドトールで、話をして時間を潰した。
歴代のどの彼女よりも、私は彼のことをよく、深く知っている自信があった。
私が不本意な進路を選んでいさえいなければ、これまでの3年間も学生時代と同じように我々は過ごしていただろう。

そんな私たちが、逆の立場で同じ場所に行くことになったのだ。
ああ、あの学生時代のような日々がまた蘇るのだろうか。



574 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 22:43:35.19 ID:ZJHTbWj30
彼「おい!何かあったのか!?」

彼の声で私ははっとする。携帯を手に持ったままぼーっとしていた。

1「あ、ごめんごめん。ちょっと星見てた」
彼「相変わらず抜けてんなあ。で、どこ行くの?」
1「内緒!」
彼「なんだよそれ!」
1「へっへ、でも遊びに行くよ。NYUはイースト・ビレッジとかに近いから、遊ぶ場所いっぱいあるよ」
彼「風俗もか!?」
1「ばか、そんなの無いよ」
彼「なんだ…金髪美人とにゃんにゃんできると思ったのに」
1「あんたほんと変わってないね」

昔とちっとも変わらない彼に半分呆れて、半分私は安心した。
内心、スーパーエリートでございと冷たくあしらわれたらどうしようと思っていたのだ。
私はプライベートの連絡先を教えて、引っ越したら連絡してくれと言って電話を切った。



580 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 23:02:09.61 ID:ZJHTbWj30
3月の上旬までに私は東京での案件の引き継ぎを終えて、ニューヨーク行きの準備を整えた。
今回はビジネス・クラスではなく、エコノミーで行くことになる。
会社の誰もが、私のニューヨーク行きをいぶかしむ中、私はアゴと入れ替わりで東京を発った。
余談だが、アゴは本国で大型の株式資金調達にもいくつも関わり、でっぷり太って帰ってきた。
以降、彼はグローバルの案件で東京が絡む案件に常に関わるようになる。そして彼の上司は急速に業績を積み上げていった。

そして私は3月下旬、ニューヨークに向かった。
不安は無かった。
向こうは知らない人ばかりだが、寂しくなったら彼に会いに行けばいい。
そう思えれば、東京での生活よりもニューヨークでの生活は大分色づいたものになるように思えた。
空港に着くと、すぐホテルに向かう。3年前と違い、白タクにぼられることもない。勝手知ったる街だ。
今度の住まいは、ロウアー・マンハッタンのレジデンスで会社のすぐ近くだった。
階下にはスーパーもあれば、近くに大手量販店Best Buyもある。住み心地は良さそうだった。



584 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 23:08:59.19 ID:ZJHTbWj30
翌日、書類上は休暇中ではあったが、オフィスに挨拶回りに行くことにした。
先方の人事はスタッファーにも紹介すると言う。

(PIAのスタッファーでどんな人なんかな?きっと凄か人やろねえ)

本社に行くのは3年ぶりだ。表札も何も無く、番地だけが書かれた質素なビル。
東京オフィスとは大違いである。
以前は学生気分だったが、今は違う。仕事で来ているのだ。
お気に入りのグレーのスーツで歩く。
東京のときは気にならなかったが、こちらではスカートをはいている人が少なく、みな非常にカジュアルな格好をしている。
私は凄く浮いていた。



586 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 23:14:00.07 ID:ZJHTbWj30
エレベーターで上階に進む。M&A部のフロアは15階から20階。PIAがあるのは17階だ。
エレベーターを出て、ガラス張りのドアの前で人事を呼び出す。
すぐにゴスペル・ソングを歌いだしそうな太った黒人が来る。やっぱり東京オフィスに来る人は美人なんだな。
彼女に案内され、私はM&A部の重いドアを開ける。ドアは非常に重く、女性の力では片手で明けるのはとても無理だ。
入ってすぐ、見慣れた顔があった。忘れもしない。

「久しぶりだね。ようこそ、ニューヨークへ」

そこにいたのは、ニューヨークでの地獄の3年間を生き抜き、顔つきばかりか体型まで変わってしまったボブだった。




592 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 23:24:32.09 ID:ZJHTbWj30
声が出なかった。しかしすぐに自分が何故呼ばれたのか合点がいった。
彼が便宜を図ったのだろう。迂闊だった。
出発前にスタッファーの経歴を聞いてさえいれば、こんなことにはならなかった。
出発前は引継ぎが忙しく、いや、それは嘘だ。少し舞い上がっていたことも手伝っていつもの慎重さを失っていたのだ。
彼がいると知っていれば絶対来たりしなかったのに。
昔のボブはつるつるの顔をしていたが、今は目にクマが刻まれ、お腹が出て、無精髭を生やしていた。

「さあ、チームの面々を紹介する」

彼に連れられてデスクローテーションをしている間、私は笑顔で挨拶をしながら、心の中では恐怖でいっぱいだった。
ここは東京とは違う。襲われでもしたら、どうすればいいのだろう。帰ることもできない。
そんな雰囲気が伝わったのか、挨拶を終えてIDカードを作成して戻ってきた後、ボブが話しかけてきた。



599 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 23:32:54.22 ID:ZJHTbWj30
「1、何か勘違いしているようだけど、ここでは君は僕の部下で、仕事に手心を加える気は無い。
 タイトルは同じでも、僕は君のスタッファーで、君が使えなければ、容赦無く東京に送り返す。
 変わりはいくらでもいるんだからね。」

私は拍子抜けした。てっきり夕食にでも誘われるかと思っていたからだ。
何だ、私の自意識過剰であったという訳か。
それならそれでいいが、私にとっては衝撃の出来事であったあの一件も、
彼にとってはあっさり横にのけられる程度のものだったのかと思うと、少し苛立ちを覚えもした。
いや、彼はそうでなくとも、職務のためには私情を捨てられる人なのだろう。
だからこそPIAでアソシエイトになることができた。
私はそう思った。ではなぜ彼が私に白羽の矢を立てたのかという疑問は、頭の隅に追いやってしまった。
600 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 23:37:57.64 ID:ZJHTbWj30
1 「ええ、分かっているわ。これからも宜しくね、ボブ」
ボブ「宜しい。勤務は来週の月曜からだ。いくつかの案件を振り分ける。
   週末を使って携帯電話の契約や、生活の設営をするといい。ブラックベリー(会社用携帯端末)は月曜日に支給する。」

私は会社を出て、南に向かって歩いた。牛のオブジェの横を通り過ぎ、さらに進むと、洋上に自由の女神を望む。
このへんは風が強い。前途多難な私の生活を象徴しているようだったが、逃げ道も無いからやるしかない。

(人生って、しんどかものやねえ)

コートを忘れていたので、すぐに体が冷えた。友人の彼(これからは泰司と呼ぶことにしよう)が来たらすぐに遊びに行こう。
そう思って、私は日本食を買い込みに、イースト・ビレッジのスーパーに向かい、週明けからの来る生活に備えた。



603 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 23:42:54.76 ID:ZJHTbWj30
週明けから、仕事が始まった。
仕事は、東京とは次元が違うものだった。
まず、労働時間が短く、業務は効率的である。
東京では有価証券報告書をめくりながら財務諸表を睨み、注記に目を通し、事業計画書を読みながら、企業分析を行った。
しかし、ニューヨークではそれらのデータが全て本社のサーバで管理されており、全てを瞬時にエクセル・シートに落とし込むことが出来る。
東京で3時間をかけていた仕事が、ニューヨークでは15分で済んだ。

ボブの仕事の振り方は実にリーズナブルなものだった。
最初はアナリストのような仕事も振り分けられたが、一つ一つの案件ごとに私に求められている領域の次元が上がっていくのが分かった。
それはまるで、私がどの程度までの仕事ならできるのかを見定めようとしているようだった。
週末は出勤する必要は無かったが、コミュニケーションを兼ねてオフィスで勉強をしている1年生の勉強を教えたりした。
9月から新しい子達が入ってくるので、今の1年生たちと仲良くしておけば、彼らとも円滑にコミュニケーションが取れる。
東京での経験から、若手に人気があるということがいかにアソシエイトとしての仕事のパフォーマンスを決めるかを、私はよく見知っていた。
そうして、4月はあっという間に過ぎた頃、泰司から連絡が来た。



608 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 23:52:36.47 ID:ZJHTbWj30
-久しぶり。元気で働いてる?
 俺は1番街のあたりの宿舎に住んでるよ。なんか国連職員の人たちと同じようなところに押し込められた。
 もっと西の方に住みたかったな。
 しばらくは語学学校に通うから、時間があったらご飯でも食べよう。美味しい店紹介してくれ。-

そんな文面のメールだった。
国連の方とは偉くかわいそうなところに住まわされたなと思った。近くにはマックも無い。
今も昔も、国家公務員の待遇は他の先進諸国に比べて劣悪だ。


611 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/19(木) 23:58:06.29 ID:ZJHTbWj30
彼は大学時代、お替わり無料の店に好んで行く男だった。
あるとき、下北沢の焼肉屋で食べ過ぎて吐いたときは頭が沸いてるかと思ったが、
それでハラの中身が減ったと言って同じ店で更に食べ続けたときは置き去りにして帰ろうかと思ったほどだ。

(よし、行ったことは無いけれど、あそこに行こう)

私はブルックリンにある「ピーター・ルーガー」に電話をかけた。
ニューヨークで25年間、不動の地位を欲しいままにしているステーキ屋で、その赤みの美味しさを誰もが語りたがる。
前から行きたいとは思っていたが、女一人で行くにはブルックリンは怖いし、それに食べきれない。
東京のアラ皮もそうだったが、ステーキ屋は原則2人前注文だ。

(またようけ食べよるやろね)

そう思いながら、私は予約をし、彼に返信をした。タイピングの速度はいつもより速かった。
会社のPCでは日本語が打てないので英語でメールを送ったら、彼から「気取ってんじゃねーよ、日本語で話せ」と言われ、
少しイラっとしたとともに、彼の今後が心配になったというのはここだけの話だ。




638 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/20(金) 00:26:15.80 ID:NyeC6CNs0
その週末、我々はピーター・ルーガー前で待ち合わせをした。
私はオフィスからタクシーで向かい、時間通りに着いた。彼はまだ来てない。電車で来るのだろう。
しかし10分ほど待っても彼は来ない。私は先に入って、席に座る。
付け合せのポテトとホウレンソウのバターソテーを食べていたら、彼がやってきた。
30分遅れだ。相変わらず時間の守れない奴だ。学生時代、一番ひどいとき、私は5時間待ったことがある。

「いやー悪い悪い。電車全然分からなくて」

まあ彼の言うのも無理は無い。
ニューヨークの電車の分かりにくさは折り紙付きだし、ブルックリン行きはうっかりすると全然違う方へ行ってしまう。

1 「。。。あんた起きてすぐ来たでしょ?」
泰司「おう、なんで?」
1 「。。。いや、別に」

沢尻エリカばりの視線をくれてやったつもりだが、彼は全く気づいていない。
目の前のホウレンソウに猛然と立ち向かう。おいおい、まだ肉もパンも来てねーぞ?



641 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/20(金) 00:33:39.73 ID:NyeC6CNs0
そして食事を終える。一体、何キロ肉を食べたのやら。Tボーン・ステーキを2つ食べるなんて。
案の定、目の前の髪ボサボサ服ヨレヨレの男は、負ける直前のベジータのようになっている。
とても苦しそうだ。

「少し歩こうか」

そう言って、私は店を出る。ブルックリン・ブリッジを歩いてマンハッタンに帰れば、少しは胃も落ち着くだろう。

(まったく、何も変わってないんだから)

そう思いながら、私は少し嬉しくなった。

夜のブルックリンは怖い。低所得層が住むエリアであることもあって、ネオンも無く、道が暗い。
橋に上るための横道に逸れ、橋を歩く。
その間、色々な話を聞いた。就職してからの話や、今後の話だ(これもこれで聞きがいのある内容だったが割愛



645 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/20(金) 00:38:19.89 ID:NyeC6CNs0
私はあまり話さなかった。学生時代からいつもそうだった。私は聞き役だ。彼が言う。

「なあ、1は何してたんだ?それに今も何してるんだ?」

私は困ってしまった。特に話すような内容が無いのだ。

1「え、、、証券会社に就職して、仕事してたよ」
彼「他には?」
1「他にはって?」
彼「いやあ、どこそこに旅行に行った、とか、どういう人と付き合ったとか、色々あるだろ?」
1「ああ、そういうこと」
彼「ああ、どうなんだ?」
1「無いよ」
彼「え?」
1「無かった。ずっと仕事をしてたよ」
彼「そんな訳は無いだろう。会社の人と飲みに行ったり、旅行に行ったりするだろ」
1「へえ、そういうのあるんだね?」
彼「ほんとに仕事しかしてなかったのかよ!?」
1「うん」
彼「・・・」
1「。。。」




645 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/20(金) 00:38:19.89 ID:NyeC6CNs0
私はあまり話さなかった。学生時代からいつもそうだった。私は聞き役だ。彼が言う。

「なあ、1は何してたんだ?それに今も何してるんだ?」

私は困ってしまった。特に話すような内容が無いのだ。

1「え、、、証券会社に就職して、仕事してたよ」
彼「他には?」
1「他にはって?」
彼「いやあ、どこそこに旅行に行った、とか、どういう人と付き合ったとか、色々あるだろ?」
1「ああ、そういうこと」
彼「ああ、どうなんだ?」
1「無いよ」
彼「え?」
1「無かった。ずっと仕事をしてたよ」
彼「そんな訳は無いだろう。会社の人と飲みに行ったり、旅行に行ったりするだろ」
1「へえ、そういうのあるんだね?」
彼「ほんとに仕事しかしてなかったのかよ!?」
1「うん」
彼「・・・」
1「。。。」



650 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/20(金) 00:47:46.31 ID:NyeC6CNs0
今でこそ、若手同士でマカオに行くだとか、案件がクローズすると打ち上げがあったりとかするが、
当時は若手の数が異常に少なかったし、仕事が切れることなど有り得なかったので、ひたすら働き続けていた。
ある同期は、勤務中に倒れて病院に運ばれ、脳血栓が見つかったが、その日の夜にはオフィスに戻ってきていた。
そういう時代だった。

それを知られるのが嫌だったから、話さなかったのだ。いびつな自分を知られたくなかったのだ。
誰だって、人生を明るく楽しんでいる人の方が好きだ。話題が仕事しか無いなんて、門前払いだろう。
仕事をしている間はそんなことを考えなくて良かった。
私は男でも女でもなく、ただ仕事をこなす機械として扱われ、それが心地良かった。
一人前の女性であるという自信が無い私にとって、プライベートの充実を考えるのはもはや苦痛だった。

二人で黙って歩いた。ブルックリン・ブリッジを渡りきるにはゆうに1時間はかかる。最後の10分は無言だった。
私が悪いのは分かっている。
でも何を話せば良かったのか?
研修のときのボブの話を面白おかしく話せば良かったのか?
嘘でも、誰か架空の過去の恋人を作って、その人とのロマンスを話せば良かったのか?
そんなことを考えているうちに、橋の道は終わった。

「なあ、ちょっといいか?」

彼が橋の降り口を出ようとする私に話しかけた。



658 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/20(金) 00:59:39.97 ID:NyeC6CNs0
彼「俺とお前は、いつだって仲良かったよな?」
1「そうだね。」
彼「俺、心配してたんだぜ。お前どうしてるかなって。」
1「そう。。。ごめんね」
彼「お前、不器用だからさ」

何が言いたいのか分からなかった。なんでそんなひどいことを言うのか。自分が一番よく知ってるさ
あなたが私のことをよく知っているのは分かるけど、そんな分かりきった心の傷を抉らなくてもいいじゃないか。
私は泣いてしまった。



668 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/20(金) 01:07:35.04 ID:NyeC6CNs0
(若干標準語に変換し、かつ省略してお送りします)

1「。。。」
彼「お、おい、どうしたんだよ?」
1「。。。分からない。。。」
彼「え?」
1「泰司には分からんと!1も好きでそうなったんじゃなか!こうするしか無かったとよ!
  だいたいなんね、その頭は!?服は!?もうちょっとさばくとか出来んとね!?不器用とかよう言うわ!
  えろかなったんねー?1がおってもおらんくても、どうせ平気なんじゃろ!せrftgyふじこ!!!!」

積年のストレスが爆発して、何とかケーブルが抜けた。



681 :1 ◆RWwEbHEhig:2009/02/20(金) 01:23:32.58 ID:NyeC6CNs0
彼が謝る。ごめんで済むか。
もう今日はゴネまくってやろうと思って私は泣きに泣いた。
ここが六本木じゃないのが残念だ。通行人のみなさん、この鈍感ヤローに冷たい視線を浴びせてください。
作戦は奏功し、彼は何もできずに立ち尽くしている。ざまーみろ。
化粧が落ちようと、コートの襟が涙でぬれようと知ったことか。

彼「な、なあ、お前、今好きな人とかいるのか?」

(こんなときになんば言うとーとね、こいつは)


127 :1 ◆RWwEbHEhig :2009/02/20(金) 23:53:24.39 ID:YsvtVX60
1「おるわけなかろ!忙しかったんじゃから!」
彼「じゃあ、お、俺と付き合ってみないか?」
1「。。。は?」
彼「だって、俺達、一緒にいて楽しかったじゃないか、学生時代。
  まあ付き合ったからって今までと何が変わるってわけでも無いけど、でも楽しそうだろ!?」
1「。。。やだ」
彼「は?」
1「やだ!」
彼「なんでだよ!?」
1「頭沸いとーと!?告白しておいて『何も変わらん』って、なんば言いよるんね!」
彼「いや、それは言葉のあやってやつで」
1「とにかく嫌!出直せ!髪も切れ、服も買え!それと風俗やめろ!話はそれから!」

私は走ってタクシーを拾った。別れ際に「ばかやろー!」と叫んでおいた。
128 :1 ◆RWwEbHEhig :2009/02/20(金) 23:53:51.40 ID:YsvtVX60
タクシーの中で、学生時代のことを思い出していた。

彼と初めて会ったのは入学前のオリエンテーション合宿のときだった。
行きのバスではみなが入試問題を話題に盛り上がる中、彼は後ろのほうで花札をやっていた。
行き先に着いて、バスを降りるとき、彼の顔は真っ赤だった。こっそり酒盛りをしていたらしい。
バス酔いも手伝ったのか、彼は降車すると草むらに走っていてリバース。

(なんねあの人。。。)

と衝撃を覚えた。良くも悪くも、彼ははみ出していた。
そしてその夜、1学年上の先輩とのコンパが予定されていたが、彼と彼の友達は景気付けのための0次会でダウン。
一同酔い潰れているのが部屋で発見され、介抱役として私を初めとした何人かがその任に当たった。

翌日、彼が代表して私にお礼を言いに来たときに話したのが、最初の会話だった。
それからは試験があるたびに、、、今思い返しても本当に試験の度に彼は連絡してきては、私に勉強を教わった。
そうして私たちは仲良くなっていった。



130 :1 ◆RWwEbHEhig :2009/02/20(金) 23:56:17.25 ID:YsvtVX60
もう少し彼の話をさせて欲しい。懐かしさがこみ上げてきてしまった。

まだ二人が二十歳になるかならないかの頃、彼は酔っ払って終電を無くすと、よくうちに泊まりに来ては部屋を荒らして帰った。
置いてある食べ物は勝手に食べてしまうし、貸したCDの盤面は常にズタズタになって帰ってきた。
休日に朝ごはんを作っておくと、好きなものだけ食べて、どこかに行ってしまう。残りは私が食べた。
忙しいのだなと思って、勉強をしようと大学の図書館に向かうべく最寄り駅まで歩くと、
パチンコ屋の前で雑誌を熱心に読む彼がいた。勉強するときもあれくらい熱心に読めばいいのに。
勉強を終えて、夜に帰ってくると、彼がベッドで寝ている。そんなとき私はごはんを作っておき、こたつに突っ伏して寝た。
そうして、毎日が過ぎていった。

私は彼のことを好きだった。おそらく恋をしていたと思う。
大学の教官以外にまともに話したことのある男性は、彼くらいのものだった。
それでも私たちの間には何も無かった。
彼には常に彼女がいたし、風俗好きだった。私はいつも彼の良い友達であろうと努めて振舞った。
同級生の多くは私たちが付き合っていると思っていたようで、
私は彼の彼女から彼につきまとうのはやめてくれとまで言われたことがある。
それでも、私たちの間には、何も無かったのだ。



132 :1 ◆RWwEbHEhig :2009/02/20(金) 23:59:05.71 ID:YsvtVX60
タクシーの中で私は涙を流し続けた。嬉しいけれど、やはり悲しい。

(今さら言われても、もう遅いっちゃ)

今でも思うが、彼と学生時代に付き合っていれば、私は彼のお嫁さんになろうと思い、就職も考えなかったことだろう。
しかし彼がそういう話をしてくれたことは一度も無かったし、私は私で、自分の気持ちと彼の気持ちに自信が持てないでいた。
勉強はそれら現実からの逃避であった。皮肉なことに、私は現実から逃避して没頭できるだけの才能があった。
それが大学院の進学を諦めたときに、私は現実と向き合わなければいけなくなった。
卒業試験の勉強を彼に教えていたときに彼が語った夢は、そのまま私の手の届かないところに彼が行くことを意味していた。
私は砂を噛むように、人生で初めての絶望の味を知ったのだった。

彼ともう一度ここで会えると思ったことで、私の心は救われた。
しかし、会っていきなり付き合おうだなんて、虫が良すぎるではないか。
私は足掛け7年間片思いをしてきたのだ。
せめてもう少し素敵な告白をしてくれたっていいのに、とここまで考えて、私は自分の気持ちに気づいてしまっていた。
タクシーに、拾った場所に戻ってくれ、と告げた。
133 :1 ◆RWwEbHEhig :2009/02/21(土) 00:02:12.65 ID:dU5mdIg0
私の勘と経験によれば、彼はまだあそこにいる。案外子供っぽく打たれ弱い奴なのだ。
きっと石でも蹴りながらいじけているはずだ。

タクシーが着いた。彼の姿は見えない。私は運転手に「待っていてくれ」と言って、10ドル札を渡して橋の方へ走る。
なんと、いない。彼のアルゴリズムはこの3年で書き換わっているのだろうか。
いや、そんなはずは無い、と思って探すが、見つからない。ああ、もう会えない。
涙が目にたまる。もう帰ろうと、諦めかけたとき、後ろから声がした。

「戻ってくるって、思ってたぜ」

私は振り向く、涙がこぼれ落ちて画像が鮮明になる。みすぼらしい男が立っていた。

「お前、素直じゃないっていうのも、よく知ってるからな」



135 :1 ◆RWwEbHEhig :2009/02/21(土) 00:02:52.68 ID:dU5mdIg0
また目に涙が充填され、姿が見えなくなる。下を向き、顔を手で覆ってしまう。
どんな表情になってしまうか分からない。寒いから鼻水も出ている。言葉は出ない。ただ立ち尽くす。

彼が腕を取って、顔を隠していた私の手を顔から離す。私は顔を見られたくなくて、顔を背ける。
ふと頬に手があたる。とても冷たい。手は私の顔を彼の顔の正面に持っていった。

「俺には、隠そうとしなくたっていいだろ。今まで、ごめんな」

私はそのまままた泣き出してしまった。この言葉をどれほど待っていたことだろう。
贖罪の言葉が、私の心を開放する。私はこれまでの辛さを吐き出すようにただ泣いていた。
彼が私の背中に手を回して優しく抱いてくれた。私も彼の背中に手を回して、泣き続けた。ずっと泣いていようかと思った。

パッパーーーーーー!!

停めていたタクシーのクラクションが鳴った。
136 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします :2009/02/21(土) 00:03:25.61 ID:dU5mdIg0
(なんでもう少しこのままでいさせてくれんね!?)

と思ったが、運ちゃんにはあっち行けこっち行けと言った上に小金を掴ませて待たせていたので、
申し訳なく思って、二人でタクシーに戻った。
メーターはしっかり倒されていて、30ドルほどになっていたが、そのまま私の家に向かってもらう。
私の家に行く間、私は彼の手を握り、肩に頭を預ける。このまま時間が続けばいい。
そんな思いも虚しく、タクシーはすぐに目的地に到着した。ブルックリンからロウアー・マンハッタンは近い。
左側に座っていた私が財布を取り出すと、右側に座っていた彼がポケットからくしゃくしゃの50ドル札を取り出し、運転手に手渡す。
彼はそのまま、私の手を引いて外に出ようとする。

「ちょ、ちょっと!あなたの家はここじゃないでしょ!?」

彼がおもむろに振り向いて言った。

「飲みに行こうぜ。店、知ってるんだろ?」

またも彼が変わってないことを確認しつつ、私は一呼吸を置いて、返事をした。

「このへんには無いわよ。焼酎なら、家にあるけどね」

彼は微笑み、私の手を取り、家に向かった。焼酎は、飲まなかった。


152 :以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage]:2009/02/21(土) 00:23:48.32 ID:IcBGhCko
>>1に聞くが、東大経済から学部で海外院に留学する人はそんな多かったの?
今は全然いない気がするが・・・


158 :1 ◆RWwEbHEhig :2009/02/21(土) 00:32:02.29 ID:dU5mdIg0
>>152
マスターでいきなり行く人は極稀。普通はドクターから行く
なぜなら、実績のある教授陣の多くは大学院の教育に力を入れているので、
学部生の身分では彼らの期待を獲得して推薦状を書いてもらうことは非常に難しい。
私は、4年生の頃に大学院併設科目を取るなどしていたけれど、まずは院にそのまま上がりなさいと言われることが多かった
いきなり行こうとしたのは、経済的な事情のためです


163 :1 ◆RWwEbHEhig :2009/02/21(土) 00:35:32.40 ID:dU5mdIg0
それからの一年間、私は幸せだった。
平日は忙しかったが、毎週末、どこへ行くにも二人で出かけた。
英語とニューヨークに不慣れな彼にとって、私は有能なガイドだったし、
私一人で行きにくいハーレムなどに行くとき、彼はみすぼらしくも頼りがいのあるナイトだった。

PIAでは従業員の管理も行き届いており、5日間の連続休暇を取ることが出来た。
私たちは少し足を伸ばしてワシントンに行き、赴任している彼の先輩と食事をしたり、
カナダ側からナイアガラの滝を見に行ったりした。
今から思えば、これが人生で初めての「海外旅行」だった。

仕事は大きな波乱も無く、私は多くの友人を作ることができ、素晴らしい経験を積むことができた。
特筆すべきは、PIAはSSGとの連携により、単に事業への投資だけではなく資産への投資も可能であったため、、
相当規模の会社を丸ごと買収した上で我々が経営関与を行い、キャッシュフローを改善するという積極的な展開が可能だったことで、
私は、それら業務についての知識やスキルを貪欲に吸収していった。しかし、この仕事を東京で従事しようとは思わなかった。
話は少々長くなるが、その動機をここで話しておきたい。
164 :1 ◆RWwEbHEhig :2009/02/21(土) 00:37:55.33 ID:dU5mdIg0
そう、PIAがやっていることは、日本では伝統的に総合商社が展開してきたビジネスモデルであったことは既に述べた。
三菱化学、三井金属、住友倉庫…。
日本に無数に存在する財閥名を冠した企業は、ほぼ全てが旧財閥によるM&Aと自己資本投資によって生まれた企業である。
戦前は、これら全てが各財閥の子会社として組織され、グループ会社という位置付けにあった。
かつてGHQが日本に進駐したとき、財閥解体を断行したのは、裏を返せばそれほど財閥の経済支配が圧倒的だったからに他ならない。
このように、投資銀行が日本で根付かなかった理由は、その経済的使命の多くを財閥直系の子孫である総合商社が担っていたからだ。

もちろん、より厳密な話をすれば、投資銀行はアドバイザーであり、総合商社はプレイヤーであるので、両者を同じ基準で評価することはできない。
つまりゴルフに例えれば、投資銀行が顧客のキャディーであるのに対し、総合商社はゴルファーそのものなのである。
投資銀行の中でも私のいた会社は、伝統的に、顧客との利益相反を防ぐためにキャディーに徹するばかりか、
敵対的な買収ですら「社格が落ちる」として一切手をつけなかったことで知られていた。
それが90年代に大きな転換を迎え、その象徴として生み出されたのがPIAだった。
PIAの存在は、投資銀行が単にキャディーであるのに飽き足らず、ゴルファーへの転身を望んだ紛れも無い証であり、
暴走するマネーへの欲望が生んだ、資本主義の鬼胎でもあった。
165 :1 ◆RWwEbHEhig :2009/02/21(土) 00:39:13.92 ID:dU5mdIg0
私は、この鬼の子を死産にしようと決めた。
このビジネスは日本に必要無いと思ったからだ。
総合商社と違い、米系投資銀行に代表される独立系証券会社のバランス・シートは小さい。お財布の大きさが違うのだ。
もし、成長性を見込む企業などがあり、PIAの裁量でそれを買収して会社全体のバランス・シートに載せても、
フローの世界で生きる我々には体力が無いためにすぐに売却せざるを得ない。
それは必ずしもその企業のためにはならないばかりか、我々の顧客の利益機会を奪うことになる。

ここで勉強したことを活かして、顧客の利益に資する提案を行い、黒子に徹する。
それこそが、投資銀行の美学だ。金融の本質だ。
東京に戻ったら、やはり法人営業部への配属を希望しよう。

そう考えるようになった頃、季節は冬になっていた。
夏ですらスーツを着て通勤するニューヨークの冬は厳しいが、年末はみな休みをとってオフィスは閑散としていた。
デスクの電話がなる。私はヘッドセットをつけて出る。

「少し話があるから、僕のデスクまで来て欲しい」

ボブに呼び出された。


181 :1 ◆RWwEbHEhig :2009/02/21(土) 01:33:35.96 ID:dU5mdIg0
(???電話で何で済ませんと?)

私は不思議に思いながら、彼のデスクまで行く。途中、ライブラリにあったクッキーを掴む。アメリカはクッキーだけは美味しい。
ボブは連日の徹夜が続き、憔悴しているように見えた。
それもそのはず。その上司も、彼を自分の案件に組み込みたがった。彼はそれらを部下に分配しながら、殆どの案件を自分がチェックし、こなしていた。

1 「疲れてるわね?」
ボブ「ああ、クタクタだよ。でもこんなのへっちゃらさ」
1 「よくそんなに頑張れるわね?」
ボブ「実は、家族が出来たんだ」
182 :1 ◆RWwEbHEhig :2009/02/21(土) 01:33:53.97 ID:dU5mdIg0
私は驚いた。いつそんな時間があったと言うのだろう。
朝、私が出社してデスクに座るとき、ボブは常にデスクにいた。帰るときも、彼はいた。
休日ですら、彼がいなかったことを見たことは無かった。

1 「わあ、おめでとう!でもそれをわざわざ言いたかったの?」
ボブ「いや、違う。少し確かめたいことがあってね。」
1 「何?人の夫に手を出すモチベーションは無いわよ」
ボブ「研修のとき、僕は君のことが好きだった。僕は君もそうだと思ってキスをしたけれど、君はあれから冷たくなった。
   あのことを謝りたくて」

私は更に驚いた。目の前にいる男は、鉄人(Tuffy)の二つ名を持つスーパー・アソシエイトである。
それが3年も前の人の気持ちを、さも少年のような初々しさを見せている。
183 :1 ◆RWwEbHEhig :2009/02/21(土) 01:36:36.34 ID:dU5mdIg0
1 「。。。なぜそんなことを?」
ボブ「実は、妻の、いや、妻になる女性だけど、彼女のおなかには僕の子供がいるんだ」
1 「ワオ!いいこと続きね!」
ボブ「ありがとう。それで、彼女とよく自分の子供の育て方とか、色々話すんだ
   彼女は『人の痛みが分かるような人になって欲しいわ。
   男の子であれば、女の子を泣かさないような子に。女の子であれば、傷ついた男の子を慰めてあげられるような子にね』と言うんだ。
   それで僕は、君を泣かせてしまったことを思い出した。
   あのときのことを解決しておかないと、僕は自分のジュニアに偉そうなことを言えないからね」

少し黙って視線を上方に逸らして考える。
あのときは本当に恐ろしかったが、もう何年も経っているし、私は今ではとても幸せだ。
ボブについても、並々ならぬ努力と研鑽を積んでいる姿を目の当たりにして、尊敬すら覚えてきていた。
正直、どうでもいい問題だったが、それでは3年前の自分がかわいそうだとも思った。

(ちょっと懲らしめてやらんね。。。)
184 :1 ◆RWwEbHEhig :2009/02/21(土) 01:36:51.56 ID:dU5mdIg0
ボブ「本当にすまない。
   あれから僕は反省して、常に行動に出る前に冷静な気持ちになるようにした。
   そのおかげで、正しい判断を下せた場面はいくつもあった。
   君のおかげだ。ありがとう。」
1 「それは研修の最終日にでも、私に言うべきセリフじゃなかったのかな?」
ボブ「その通りだ。とても反省しているよ。僕が出来ることなら何でもするから、遠慮なく言って欲しい」
1 「あら、本当?」
ボブ「本当さ」
1 「何でも?」
ボブ「何でもさ」
1 「じゃあ、東京に送る私のレビュー(評価)をあなたが書いてちょうだい。
   『1はニューヨークPIAのアソシエイトとして、素晴らしいパフォーマンスを挙げた。Mobilityが一年であることを残念に思う。
    ついては、聡明な彼女のリソースは東京オフィス全体の収益向上に資するべく、法人営業部に配属されるよう期待する。
    これはこちらのグローバル・コミッティの決定事項であるため、異論がある場合は期末のグローバル・カンファレンスにて諮られたい』
   ってね」
185 :1 ◆RWwEbHEhig :2009/02/21(土) 01:37:05.80 ID:dU5mdIg0
かくして、私は東京のM&A部を敵に回すことなく、法人営業部への切符を手に入れることができた。
これが無ければ、私は東京でPIAに準ずる業務に当たらされていただろう。
驚いたことに、ボブは本当にグローバル・コミッティの了解を取り付けてきた。
どうやったかは敢えて聞かなかった。
私は、お礼にキスマークがプリントされたオムツを5ダースほどオーダーし、彼のレジデンスに送りつけておいた。
彼にとってはブラックジョークだろうが、奥さんにはありがたいプレゼントになっただろう。

東京に戻る前日の朝、私はチーズケーキを買って、セントラル・パークに向かった。
3年前の夏に過ごした至福の時間を再現しようとしたのだ。
一齧り、また一齧り。もう食べられない。

(バリ重か、、、あの頃は若かったってことっちゃね)

「ずいぶん、重たいもの食べてんな」
186 :1 ◆RWwEbHEhig :2009/02/21(土) 01:37:19.01 ID:dU5mdIg0
泰司が来た。約束の時間通りだ。珍しい。

1「もう無理。お茶に大福が恋しいよ」
泰「すぐ食べれるだろ。そのケーキ、食べないならくれよ」

まったく、こいつの食い意地はどうにかならないものかと思う。手がかかってしょうがない。

1「連絡してね」
泰「あ?おお。まあお盆には帰るよ」
1「学校は?」
泰「俺がいなくても地球は回る。学校なんてなおさらさ」

この人、留学してるって自覚あるのかしらと呆れるが、まあそれも彼の愛嬌だ。


189 :1 ◆RWwEbHEhig :2009/02/21(土) 01:41:58.12 ID:dU5mdIg0
1「帰ってきたら、チーズケーキを焼いておくよ」
泰「本当か?焦がすなよ」
1「バカ、ちょっとくらい焦げ目があった方が美味しいわよ」

そんな会話をしながら、しばらく会えないのだなと思う。東京に帰るというのに、心が浮かない。

泰「そんな顔するなよ。ケーキくらい、またいくらでも買えるだろ。高給取りなんだから」
1「・・・」
泰「何だよ?」
1「何でも無い!しっかり勉強しなさいよ!」
泰「へーへー」

私は立ち上がり、お尻についていた草を払い、最後の片付けをすべく、オフィスに向かうメトロの入り口に足を運ぶ。
初春のセントラル・パークを吹く凍てつく風は、私の気持ちを引き締めた。
さあ、東京に帰ろう。


ニューヨーク編 その2 終わり


Posted by Gestalt★彡 at 17:13│Comments(0)
 
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